ピーターブルック1925-2022 _イギリス
ローヤル・シェークスピア劇団演出家。
1954年シェークスピア記念劇場(現ロイヤル・シェークスピア劇団)に加入。演劇を根源的にとらえなおし、’55年「タイタス・アンドロニカス」、ベトナム反戦劇「US」(’66年)、サーカス風「真夏の夜の夢」(’70年)、「残酷劇のシーズン」と称する実験を行うなど、文化全般に衝撃を与え続ける。’70年パリに国際演劇研究センターを創設し、世界の俳優を集め、演劇の始原性と可能性を追求した。他に「オルガスト」(’71年)、「三文オペラ」(’53年)などの映画を始め、オペラ、作曲などの作品も多い。

【代表作】
「Marat/Sade」(1964年) – フランスの作家ジャン・ジュネの戯曲を基にした作品で、フランス革命時代の政治家ジャン=ポール・マラーとシャルロット・コルデーの対話劇。
「夏の世の夢(A Midsummer Night’s Dream)」(1970年) – シェイクスピアの古典喜劇を、ブルックの特徴的な演出手法と舞台デザインで再構築した作品。
「マハーバーラタ(The Mahabharata)」(1985年) – インドの叙事詩「マハーバーラタ」を基にした作品で、ブルックが約10年間かけて創り上げた壮大なスペクタクル。
「ハムレット(Hamlet)」(2000年) – シェイクスピアの悲劇「ハムレット」を、ブルックが独自の解釈で演出した作品です。
【関係する劇場】
ボウフェスティバル劇場(Bouffes du Nord Theatre):ブルックは1974年にパリのボウフェスティバル劇場を購入し、その劇場を自身の実験的な舞台として使用した。この劇場は19世紀に建設された歴史的な劇場であり、ブルックはここで多くの公演を行った。
イングランド王立劇場(Royal Shakespeare Theatre):ブルックはシェイクスピアの作品にも多く取り組んでおり、イギリスのストラトフォード=アポン=エイヴォンにあるイギリス王立シェイクスピア劇団の本拠地であるイングランド王立劇場で公演を行いました。
非劇場空間:ブルックは劇場の壁を越え、非伝統的な場所で公演を行うこともありました。例えば、工場や倉庫、教会など、既存の劇場以外の空間を舞台として使用しました。彼は舞台設定や演出手法を簡素化し、物理的な要素を最小限に抑えることで、演劇の本質を引き出す試みを行いました。
ピーター・ブルックは伝統的な劇場の枠にとらわれず、異なる場所や文化との交流を通じて、劇場の可能性を追求しました。彼の公演はその革新的なアイデアや演出手法を反映しており、観客に新たな劇場体験を提供しました。
【何もない空間とか?】
ピーター・ブルックが「何もない空間」として提案したのは、劇場空間において舞台やセットなどの物理的な要素を極力削ぎ落とし、演劇の本質と真実を浮き彫りにするための空間だった。彼はこのアイデアを自著『The Empty Space』で詳しく説明している。
ブルックは伝統的な劇場のセットや装置が演劇の本質を覆い隠してしまうと考え、演劇の目的や意図をより明確に伝えるために、簡素な舞台設定や空間を提案した。彼は「何もない空間」によって、観客が物語や演技に没入しやすくなり、演劇の魔法をより強力に感じることができると信じていた。
このコンセプトは、物理的なセットや道具を最小限にし、照明や音響、演技の力だけで物語を表現するという手法とも関連している。ブルックは劇場の本質を純粋化し、演劇の力強さや生命力を引き出すために、舞台空間の簡素化と実験的な手法を探求した。
「何もない空間」の提案は、伝統的な劇場の枠組みにとらわれず、新しい形の演劇表現を模索するための啓示的なアイデアとなった。ブルックの影響は劇場界に大きな波及をもたらし、現代の演劇においてもその思想や手法は広く受け継がれている。