10_ワーグナー家とドイツの戦後舞台美術

バイロイト音楽祭はリヒャルト・ワーグナーの伝統的な舞台美術を保持していたが、第二次世界大戦後に変革が進んだ。特に、孫のヴィーラント・ワーグナーが戦後の主要な舞台美術家となり、彼の死後はヴォルフガング・ワーグナーが引き継いだ。1970年の『ニーベルングの指環』の舞台では、リヒャルト・ワーグナーの伝統よりもアドルフ・アッピアの理念に近い抽象的なデザインが採用された。1976年以降、ヴォルフガングは外部のデザイナーを起用し、4年ごとに新たな演出・舞台デザインで『指環』を上演する方針を導入した。

<戦後ドイツの主要な舞台美術家>
ウィルフリート・ミンクス(1930年生まれ)は、1967〜1973年にブレーメン市立劇場で活躍し、「ブレーメン様式」を確立。舞台装置を最小限にし、観客の想像力を刺激する手法を採用した。

カール=エルンスト・ヘルマン(1936年生まれ)は、ピーター・シュタインと共に活動し、映画スタジオなどの変則的な空間を活用した舞台デザインを展開。ベルリンのシャウビューネ劇場では、可変式の観客席と舞台装置を備えた革新的な劇場空間を設計した。

その他のデザイナーとして、フリッツ・ウォトルバ(粗石を使った舞台)、アンドレアス・ラインハルト(巨大な人体を舞台装置に使用)などが多様なスタイルを生み出した。

<まとめ>
戦後のドイツでは、ワーグナー家の舞台美術が伝統から抽象表現へと変化し、多様なデザイナーが舞台を実験的な表現の場とした。特に、ミンクスやヘルマンは舞台を単なる現実再現ではなく、観客に新たな視点を提供する装置として活用した。

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