ソビエト演劇は、1917年のロシア革命を契機に、政治・社会の変革と密接に結びつきながら、演劇表現の革新を推し進めた。
この中で、最も重要な演出家の一人が**ヴセヴォロド・メイエルホリド(1874-1940)**である。彼の活動を軸にソビエト演劇を整理すると、以下の三つの視点が浮かび上がる。
① 演劇の革命:リアリズムからの脱却
メイエルホリドは、スタニスラフスキーのリアリズム演劇を批判し、形式主義的な演劇を追求した。彼の代表的な理論と実践が**「バイオメカニクス」**である。
- 俳優の身体を徹底的に訓練し、動きによって感情を表現する
- 装置は写実的ではなく、抽象的な構成(コンストラクティヴィズム)を用いる
- 舞台全体を「ダイナミックな機械」として設計し、演技のリズムと一体化させる
例えば、1922年の**『レ・ミザントロープ』や、1926年の『南京虫』**では、機械的な動きや幾何学的な舞台美術を駆使し、ソビエトの未来社会を象徴的に描いた。
彼の演劇は、「プロレタリアートのための新しい演劇」として称賛されたが、その形式主義が後に問題視されることになる。
② ソビエト演劇の多様性と発展
メイエルホリドと同時代に活動した演出家たちは、それぞれ異なる方向性でソビエト演劇を発展させた。
アレクサンドル・タイーロフ(1885-1950)
- 政治性を排し、美的・感覚的な体験を重視(『サロメ』『フェードル』)
- キュビズムや表現主義を舞台美術に取り入れた劇的空間
- 西欧の演劇作品を積極的に上演(シェイクスピア、ショー、オニールなど)
エフゲニー・ヴァフタンゴフ(1883-1922)
- スタニスラフスキーのリアリズムとメイエルホリドの様式化の融合
- 「ファンタスティック・リアリズム」——現実と演劇的表現を重ね合わせる
- 代表作『トゥーランドット』では、観客に演技の過程を見せる演出
ニコライ・オフロプコフ(1900-1967)
- プロセニアム・ステージを廃し、観客席内で演技を展開(円形劇場の先駆け)
- 映画的なカット割りの演出、観客を舞台の中心に巻き込む空間構成
③ ソビエト政府との対立と弾圧
1920年代には、メイエルホリドらの革新が称賛されたが、1930年代に入るとスターリン主義の影響が強まり、「社会主義リアリズム」が演劇に義務付けられた。
- メイエルホリド:形式主義を批判され、1939年に逮捕、1940年に処刑
- タイーロフ:劇場を閉鎖され、晩年は活動の場を失う
- オフロプコフ:アナーキズム的と批判され、シベリアに流刑
芸術的実験の自由は失われ、ソビエト演劇は「プロパガンダの道具」と化していった。
結論:ソビエト演劇の意義とは何か?
メイエルホリドの演劇は、単なる政治プロパガンダではなく、**「新しい社会にふさわしい演劇のあり方を模索する実験」**だった。
- リアリズムを超えた演技表現(バイオメカニクス)
- 革新的な舞台美術(コンストラクティヴィズム)
- 観客を巻き込む新たな演劇空間(円形劇場、参加型演劇)
しかし、その実験は政治の圧力によって断絶され、多くの演出家が弾圧された。
それでも、彼らの試みは、後のアヴァンギャルド演劇、実験演劇、さらには現代のパフォーマンスアートにも影響を与えた。
ソビエト演劇は、政治の道具となることで衰退したが、そこで生まれた革新は、20世紀の演劇に決定的な影響を与えた。