
略歴
モリエールの生涯 (1622年–1673年)
1622年 (0歳)
- 1月15日、パリでジャン=バティスト・ポクランとして生まれる。父は裕福な宮廷御用達の室内装飾業者でした。
1643年 (21歳)
- 6月30日、仲間と共に劇団**「盛名座(しょうめいざ, L’Illustre Théâtre)」**を旗揚げし、「モリエール」という芸名を使い始めます。
1645年 (23歳)
- 「盛名座」が興行的に失敗し、多額の借金を背負い、短期間ですが投獄されてしまいます。
- 釈放後、パリを離れ、地方巡業の旅に出ます。この旅は約13年間に及び、俳優、座長、そして劇作家としての経験を積む重要な期間となりました。
1655年 (33歳)
- 地方巡業中に最初の重要な喜劇**『そそっかしい男』(L’Étourdi)**をリヨンで上演し、成功を収めます。
1658年 (36歳)
- 10月24日、一座を率いてパリに帰還。ルーヴル宮で国王ルイ14世の前で御前上演を行い、成功を収めます。
- 国王の弟であるオルレアン公フィリップの庇護を受け、**「ムッシューの一座」**という公式名称を得て、パリでの活動を許可されます。
1659年 (37歳)
- **『才女気取り』(Les Précieuses ridicules)**がパリで大成功を収め、劇作家としての名声を不動のものにします。
1660年 (38歳)
- パリ随一の劇場であったパレ・ロワイヤルを本拠地として使用する許可を得ます。ここから彼の黄金期が始まります。
1662年 (40歳)
- 2月20日、一座の女優アルマンド・ベジャールと結婚します。
- 12月26日、**『女房学校』(L’École des femmes)**を初演。大成功を収めるも、その内容が激しい論争を巻き起こします。
1664年 (42歳)
- 5月12日、ヴェルサイユ宮殿にて**『タルチュフ』(Tartuffe)**の初版(三幕版)を上演。しかし、その宗教的偽善を痛烈に風刺した内容が聖職者たちの激しい怒りを買い、以後5年間にわたって上演禁止となります。
1665年 (43歳)
- ルイ14世自らが劇団の庇護者となり、一座は**「王の一座 (Troupe du Roi)」**という最も名誉ある称号を授けられます。
1666年 (44歳)
- 傑作**『人間嫌い』(Le Misanthrope)**を上演します。
1668年 (46歳)
- 代表作の一つである**『守銭奴』(L’Avare)**を上演します。
1670年 (48歳)
- シャンボール城での宮廷上演を経て、パレ・ロワイヤルでコメディ・バレエ**『町人貴族』(Le Bourgeois gentilhomme)**を一般公開します。
1673年 (51歳)
2月17日、この作品の4回目の上演で、主人公アрган役を演じている最中に舞台上で倒れます。公演終了後、自宅に運ばれますが、その日の夜に息を引き取りました。まさに舞台に生きた人生の最期でした。
2月10日、最後の作品となる**『病は気から』(Le Malade imaginaire)**をパレ・ロワイヤルで初演。
上演リストと劇場
モリエールの主な上演作品リスト
1655年そそっかしい男 (L’Étourdi ou les Contretemps)_@リヨン
1656年 恋人の痴話喧嘩 (Le Dépit amoureux)_@ベジエ
1659年才女気取り (Les Précieuses ridicules)_@プティ・ブルボン宮 (Salle du Petit-Bourbon)
1660年 スガナレル、あるいは思い違いの緑の角 (Sganarelle ou le Cocu imaginaire)_@パレ・ロワイヤル (Théâtre du Palais-Royal)
1661年ドン・ガルシ・ド・ナヴァール (Dom Garcie de Navarre ou le Prince jaloux)_@パレ・ロワイヤル (Théâtre du Palais-Royal)
1661年亭主学校 (L’École des maris)_@パレ・ロワイヤル (Théâtre du Palais-Royal)
1661年 うるさ方 (Les Fâcheux)_@ヴォー=ル=ヴィコント城 ※宮廷初演
1662年女房学校 (L’École des femmes)_@パレ・ロワイヤル (Théâtre du Palais-Royal)
1663年女房学校をめぐる批判 (La Critique de l’École des femmes)_@パレ・ロワイヤル (Théâtre du Palais-Royal)
1663年ヴェルサイユの即興劇 (L’Impromptu de Versailles)_@ヴェルサイユ宮殿
1664年強制結婚 (Le Mariage forcé)_@ルーヴル宮
1664年エリードの王女 (La Princesse d’Élide)_@ヴェルサイユ宮殿
1664年タルチュフ (Tartuffe ou l’Imposteur)_@ヴェルサイユ宮殿 ※初版上演後、上演禁止
1665年 ドン・ジュアン (Dom Juan ou le Festin de pierre)_@パレ・ロワイヤル (Théâtre du Palais-Royal)
1665年 医師ガリレー (L’Amour médecin)_@ヴェルサイユ宮殿
1666年人間嫌い (Le Misanthrope)_@パレ・ロワイヤル (Théâtre du Palais-Royal)
1666年いやいやながら医者にされ (Le Médecin malgré lui)_@パレ・ロワイヤル (Théâtre du Palais-Royal)
1667年 シチリア人、あるいは恋する絵描き (Le Sicilien ou l’Amour peintre)_@サン=ジェルマン=アン=レー城
1668年アンフィトリオン (Amphitryon)_@パレ・ロワイヤル (Théâtre du Palais-Royal)
1668年 ジョルジュ・ダンダン (George Dandin ou le Mari confondu)_@ヴェルサイユ宮殿
1668年守銭奴 (L’Avare)_@パレ・ロワイヤル (Théâtre du Palais-Royal)
1669年 プルソニャック氏 (Monsieur de Pourceaugnac)_@シャンボール城
1670年 見事な恋人たち (Les Amants magnifiques)_@サン=ジェルマン=アン=レー城
1670年 町人貴族 (Le Bourgeois gentilhomme)_@シャンボール城
1671年プシシェ (Psyché)_@チュイルリー宮殿
1671年スカパンの悪だくみ (Les Fourberies de Scapin)_@パレ・ロワイヤル (Théâtre du Palais-Royal)
1671年 エスカルバニャス伯爵夫人 (La Comtesse d’Escarbagnas)_@サン=ジェルマン=アン=レー城
1672年女学者 (Les Femmes savantes)_@パレ・ロワイヤル (Théâtre du Palais-Royal)
1673年病は気から (Le Malade imaginaire)_@パレ・ロワイヤル (Théâtre du Palais-Royal)